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【フランス・ベルギー旅行記】
2008年3月25日(火)〜4月4日(土) |
ヨーロッパ、命知らずの旅行シリーズ第2弾。春休みを利用した11日間の旅。
前回同様、命の危険にさらされる場面はいくつかあったものの、ほとんどのノルマの達成に成功。イタリア旅行を
ルネサンス芸術の旅とでも言うのなら、今回はバロック〜近代芸術に中世を少々ふりかけた旅、とでも言おうか。
まったく脳みそにインプットされていないフランス語が難関として立ちふさがっているものの、
英語で何でも済ましてしまおう!という英語を母国語とする国の人々の語学への無関心さ、に近いものを
心に抱きつつ、目には見えないトリコロールの旗を掲げて出発したのだった。
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■ フランス
マドレーヌ寺院
オランジェリー美術館
装飾芸術美術館
広告博物館
モード&テキスタイル博物館
ルーヴル美術館
バルビゾン
フォンテーヌブロー城
オルセー美術館
コンシェルジュリー
ノートルダム大聖堂
中世博物館
パンテオン
ピカソ美術館
カルナヴァレ博物館
国立近代美術館
サン・ジェルマン・デ・プレ教会
ドラクロワ美術館
サン・シュルピス教会
ロダン美術館
アンヴァリッド
サクレ・クール寺院
モンマルトル博物館
ヴェルサイユ宮殿
モン・サン・ミシェル
ジヴェルニー
マルモッタン美術館
■ ベルギー
ノートルダム大寺院(アントワープ)
アントワープ王立美術館
ホーボーケン
サン・ミシェル大聖堂(ブリュッセル)
ブリュッセル王立美術館
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★★★★☆
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★★★☆☆
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★★★☆☆
★★★☆☆
★★☆☆☆
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★★★☆☆
★★★☆☆
★★★★☆
★★★☆☆
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★★★☆☆
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★★★★☆
★★★☆☆
★★★☆☆
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★★★★☆
★★★★☆
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★★★☆☆
★★☆☆☆
★★★☆☆
★★★☆☆
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3月25日(火) |
北京→パリ
昼のフライトということで、ゆっくり出発。今回はイタリア旅行ほど
下調べ的なものをすることができなかった。というかしなかった。こんなことを言うのは何だが、
イタリアほど興味はない...。というのも、フランスが芸術的に発展を遂げたのは
ロココ時代の18世紀ころからである。
ルネサンスを専門とするものにとっては近代芸術すぎるのだ。まあ、教会などの建築や美術品の
コレクション数、という視点から見ればはすばらしいと思うが。
それに、ルーヴル美術館を舞台にしたダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ コード」
の背景をたどるのも魅力的だ。と偉そうに言ってみたものの、数年前に読んだ本の記憶というものは
儚い。本当は読み直そうとしたのだが、手元にないという理由で断念した。
仕方なくとバックにしまいこんだのは「天使と悪魔」だった。体はフランスを旅しながら
精神はイタリア、という少々ややっこしい旅になりそうな予感がしていた。
一番安かったと言う理由でエア・チャイナを利用。中国国際航空。恐ろしく墜落しそうな響き。
「中国の飛行機は部品に安いものを使っているから利用するな」
という数年前に言われた親の助言を思い出すも、結局、
まぁ直行便だし安いしいいか、という結論に達した。
「高所恐怖症+乗り物酔い」の人間にとって飛行機は地獄そのものだ。何度乗ろうが慣れは来ず。
揺れる=墜落の公式が脳内を攻撃し始める。
気を散らそうと本を読むも集中できず、気圧が安定するまではシートにしがみついていた。
ようやく揺れもおさまったころ、乗客のほとんどが中国人だということに気づく。飛行機内を自由に移動する中国人。
やたらとオッサンが多いが、一体パリに何しに行くのだろうか。
パリとはまったく縁がなさそうだ。というわけで、中国人お得意の「カーッペッ」を終始聞くことになる。
そう、痰のことだ。エチケット袋の使い方間違えてないか?
...とケチったために、こういうところで不快な思いをするのだった。
こんな拷問が11時間と30分続き、ようやくパリに到着した。
飛行機で寝違えたせいで到着早々、頭痛が発生。我慢しながらロワッシーバスに乗車し、
50分ぐらいでオペラ座に到着。ふーん、ここがオペラ座ね、と見上げながら、
右も左もわからないが地図を頼りにホテルまで徒歩。
ガイドブックによく載っている「荷物が多いときはタクシーを利用したほうがベター」
という適当そうな助言はもちろん無視だ。
ほらね、30分ほどで無事に着くんだよ。その日は即死だった。
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3月28日(金) |
パリ
ツアーも申し込んでない日なので、ゆっくりと鑑賞できる日だ。いつものように地下鉄を利用して、この日は
シテ島で下車。サント・シャペルは列があったので、先にコンシェルジェリーへ。
この判断が後で悲劇を招くことになる。コンシェルジェリーは恐ろしかった。
マリー・アントワネットが、ギロチンにかけられるまで過ごしていたという独房を見る。
結構いいとこじゃん。ベットも机もあるしさ。下手したら実家の自分の部屋より豪華である。
彼女は、死刑まで1日のほとんどを祈って過ごしていたらしい。少し同情して気の毒に思う。
サント・シャペルへ行こうと外へでると、さっきよりも長い列が!げげっ。ありえない光景が
広がっていた。研修旅行か何なのか、日本の女子大生っぽい団体が100人くらい入り口でひしめいている。
色彩豊かな東方ゴキブリの来襲とでも言おうか、カサカサカサカサしていた。
「あいつ日本人じゃねぇ?!」という痛い視線を感じる中、ぞっとしてその場を一目散に通り過ぎた。
後で来ようと諦めてノートル・ダム大聖堂へ。ここはノーコメントで。ただ、人の多さはヴァチカン級だ。
続いて中世博物館へ。遺跡が残る敷地内、建物にも趣があった。
たくさんのタペストリーや彫刻を見ることができたが、フランス人小学生の団体がうざい。
全裸の彫刻のケツを指差して喜ぶクソガキども。
監視員に叱られっぱなしのこいつらを鑑賞するのが、ここでの一番の見所だった。
続いてパンテオンへ。1階は彫刻や壁画がたくさんあり、地下はフランスの偉い人たちの
墓所であった。やべー、ほとんど名前も聞いたことない人たちだ。いかに自分がフランス史について
無知であるかを再確認してしまった。ソクラテスによる無知の知をリアル体験し、
退屈だったので早々と立ち去った。来た道を戻って
先ほど逃したサント・シャペルへ。その途中、クレープの誘惑にあう。うまい!
入り口に到着、ラッキー!さっきよりも列が短いぞ。と15分くらい並んでいた。
といきなり係りの人が出てきて何か言っている。フランス語だ。立ち去る人々。なになに?
フランス語がわからないと思われる外国人数名が入り口に集まる。
なんだとー!昼休憩に入るから鑑賞は終了だと!?先に言ってくれ〜!
パリ滞在は長い、また後で来ればよいと自分に言い聞かせ、往生際よくその場を去りピカソ美術館へ行くことに。
その途中、またもやクレープの誘惑にあう。
調子に乗ってクリームを注文したため、まさかのクリーム+砂糖のダブル攻撃に合い、
完食には至らなかった。
ここから、悪夢の方向音痴パレードが始まる。方向音痴なくせして勘に頼りたがる、そんな
悪い癖がついつい出てしまうのだ。人に聞いた時点でゲームオーバーだ。意地でも自分の力で探し出そうとする。
同じ道をうろうろ、いらいら。結局20分の距離を1時間くらい歩いていただろうか。
ようやくピカソ美術館に到着し鑑賞するも、思ったほど作品は多くなく感動も少なかった。いわゆる最悪のパターンだ。
気を取り直して隣接するカルナヴァレへ。誰一人として
芸術家はわからなかったが、無料のくせして見ごたえがあった。
外へ出ると雨と風が歓迎してくれた。
歩くだけで体温を2,3℃持っていかれるのがわかる。ついでに足はがくがくだ。
普通の人間だったらここで帰るだろう。だが、ノルマを達成するまではホテルのドアは開かれない。
足はサイボーグと化し、最も苦手分野であるスーパーモダンアートを克服するため、
国立近代美術館を訪れる。そう、いつも教科書の最後に出てくるモンドリアン、ジャン・デ・ビュッフュ、
カンディンスキーなどの作品だ。近代美術は理解するのが難しい。ルールを持たない自由に創作された作品は、
確かに魅力的な部分もあるが、物にあふれた現代社会の贅沢さを連想させる。
すべてを鑑賞しきったあと殺人級な考えを思いつく。
リヴォリ通りのショッピング街を歩きながらルーヴルを目指す、というアイデアだ。
昨日見れなかったルーベンスなどのフランドル派を見るために、ついにルーヴル3日目。
でました!ルーヴルといえば、必ず取り上げられるこのルーベンスの部屋。マリー・デ・メディチ
の発注で描かれた大きな絵画である。筆のタッチがとてもやわらかく、描かれている人物がそのまま
浮かび上がってくるようだった。やっぱりルーベンスは、うわさ通りデブ専だったのだろう。
キモいと嫌われるぶよぶよした脂肪も、ルーベンスの手にかかれば美しいものに変化してしまう。
自分の中で、密かにルーベンスマジックと命名した。
その続きでドイツ絵画を見ようとするが、ちぇっ。閉まってやがる。また明日来なければ。とすっかり
ルーヴルのリピーターになった自分に苦笑し、麻痺した両足を無理やり動かして、
無心のままホテルへと戻った。
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3月29日(土) |
パリ
今日も近場をゆっくりと観光できる日だ。朝一にサン・ジェルマン・デ・プレ教会へ。
ロマネスク様式の造りなので、ほかの教会と比べると若干質素に感じた。
窓が小さいので光が中まで届かないせいでもあるだろう。中は暗く、早朝ということもあって人の気配をあまり感じなかった。
ついでということで国立ドラクロワ美術館へ。開館の10分前に着いたため、開くまでしばし待つことに。
結局開いたのは10分遅れた9時40分。こらーっ。どうせ朝からこんなとこに来るやつなんて
いねーとか思ってんな...。本日お1人目、ご入場。ここはドラクロワの住居兼アトリエだったので、
作品だけではなく調度品などが醸し出す雰囲気も楽しむことができた。まあ、ぱっとした絵はなかったけど。
しかし、さすが国立。客1人に対して職員が10数人。こういうのを経費の無駄遣い
と言うのだろう。
続いて徒歩10分くらいにあるサン・シュルピス教会へ。
たしかここは「ダ・ヴィンチコード」の舞台となった教会だ。
しかしながら、何一つ思い出せない自分の乏しい記憶力を考えて深く悲しむこととなった。
読み直せなかったのが悔やまれた一瞬である。とにかく大きな教会で見ごたえは十分にあった。
気を取り直してロダン美術館へ向かう。十分歩ける距離ではあったが、
前日までの経験で歩く→疲れるという法則を発見したので、
なるべく電車を使うように心がける。2回も乗り換えをしなければならなかったが、30分ほどで到着した。
何も考えてなかったが、晴れている日に来て良かった。
なんせ、ロダン美術館の作品は多くが外に飾られているからだ。
彼の作品は結構好きだ。ダイナミックな動きと曲線が、ミケランジェロを彷彿とさせる。事実、
ロダンは彼の追随者でもあった。それと、手の表現が力強く独特で、殊にすばらしいと思う。広い庭をしばらく徘徊、
現代精神病のひとつである「引きこもり」を患う者からすれば、この30分ほどの散策が、
1か月分ほどの光合成の役割を果たしたことだろう。
隣接するアンヴァリッドへ。しつこいくらいに大砲が展示されている場所だ。
まずはナポレオンの墓を見学。ひたすらシャッターをおろす人々。
「ん?」何で墓を写すんだろう?という素朴な
疑問が浮かんだ。人間の行動というのは、客観的に見てみると滑稽だったりする。
現像したときナポレオンが心霊写真のように浮かび上がってくるのだろうか。
念のため、シャッターを切る。続いて、同じ敷地内にある軍事博物館へ。結構好きな分野だ。
ここでは戦争に関する資料や歴史、勲章、軍服などを展示していた。
館内に鳴り響く爆撃音やサイレンは、すぐにタイムスリップの手助けをし、
頭の中の妄想は爆発寸前であった。
また、保存のためか館内はとても暗かったので、軍服を着た蝋人形を見るたびに寿命を縮めていた。
悲惨な写真もいくつかあり、改めて戦争は二度と起こすまいと心に誓い後にした。
お次は待っていました!武器・武具博物館へ。やはり血が騒ぐ。
特に興味があるのは、鎧などの防具である。ほとんどの人の興味はおそらく武器に集中するだろう。
受け身というネガティブな役割を与えられているにもかかわらず、それらの鎧の存在感の大きさ。
そして、曲線部分のヒダは最高の芸術作品としか言いようがない。
こういった感じでアンヴァリッドでは充実した時間をすごした。
この後は言うまでもないだろう。またもやルーヴルへと向かった。
近いと思って歩いたが結構な距離を歩いてしまい、午前中の電車に乗った努力が水の泡に。
とその前に、遅い昼食としてまたもやサンドウィッチを。お金というよりも時間の節約だ。
その後、昨日見れなかったドイツ派の絵画と、
イタリア、フランス絵画をもう一度鑑賞した。一番の感動はジェラールの「エロスとプシュケ」
かもしれない。思ったよりも色彩が鮮やかだった。
夕方ころ鑑賞が終わり、時間もあったので街をぶらつくことに。途中、火事現場に遭遇し、好奇心旺盛なパリ人と
野次馬をしたが、煙の気配すらなかった...。金曜の夕方なので、みんなとっても楽しそうに
買い物を楽しんでいる。こんな風に日常のパリに触れ、
中国へ帰りたくない度は150%にまで上昇していた。
ホテルに到着したのは20時ころだった。
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3月31日(月) |
モン・サン・ミシェル
3月最後の日。今日こそは良い日になるよう祈る。この旅のハイライトとも言えるモン・サン・ミシェル
のツアーだ。朝7時集合、夜9時解散という1日を要す長い旅。Cityrama社を利用したので
外国人(自分もそうだが)とともにツアーをする羽目になる。そのほうが良いが...。
日本人は3割ほど、イタリア人2割。後はイギリス&アメリカ人(おそらく)であった。
日本語ガイドを担当したのは、
怪しい日本語を話すフランス人のおっさんであったが、
けっこうイカすギャグを言っていたので気に入った。
日本語+英語+イタリア語でのガイドも聞けたので、ちょっとお得な気分であった。
頭の中は絶えずスイッチが入れ替わり、フル起動していた。
モン・サン・ミシェルまでの道のりは長かったが、天気も良かったので景色を楽しんだ。
ところが!近づくにつれて徐々に雲行きが怪しくなり、モン・サン・ミシェル手前の
レストランでランチをとったころには、またもや
雨、風の嵐ともいえるべき状態であった。
ランチはあまり豪華なものとは言えなかったが、一応フルコースを頂いたので満足。
名物のふわふわオムレツは、よーく味わって頂いたものの、やはり泡の味しかしなかった。
食事が終わりレストランを後にする。モン・サン・ミシェルと広大な大地が目の前に広がる。
まさしく、「聖地」としか言いようのない光景だ。
確かに天候は悪かったが、それが逆に風景と調和して、まるで霞みがかった天国に来ているような感覚にとらわれた。
そして、修道院へ続く道には、たくさんの羊が放し飼いにされていて、これも目を喜ばせた。
モン・サン・ミシェル。やはりこの旅のNO.1に選ばれてしまった。
こんな幻想的で神秘的な修道院は今まで見たことがない。
大天使ミカエルのお告げで建立された修道院。
中は残念ながら一部が火事で失われたが、修復が行われ、
8世紀から13世紀のゴシック&ロマネスク建築を見ることができた。
カトリックなのに質素なのは、ほとんどが戦争時に盗まれてしまったからだそうだ。
何度も確認するが、確かに天候は最悪だった。けど、その雰囲気がこの島とその周りに調和していて
大規模な芸術と化し、夢の中にいるかのように幻想的だった。
さすが世界遺産!
「夕方6時を過ぎる何もすることがなくなる」というこの島に、1週間くらいは滞在してみて、
現在社会の欲望から逃れてみたいもんだ。
しかし一番痛かったのは、カメラをを忘れてきてしまったことだろう。これには結構泣きそうになった。
まあ、近々リベンジしに来る理由ができたと言うもんだ。
それにしても人が多い。こういった観光地になってしまうといろいろ問題がつきものだ。
なんと、現在架かっている橋のせいで潮流をせき止めてしまっているらしい。
これが続くと、もはや島ではなくなってしまうらしく、現在工事が進められているらしい。
一通りガイドで院内を回った後、自由時間で再入場し、かなり充実した時間を過ごした。
4時半の出発の時間まで、おみやげやで時間をつぶし、クレープを食べる。
感動のままモン・サン・ミシェルを去った。帰りはかなり疲れ果てていたが、どんどん遠くなっていく
モン・サン・ミシェルを見て少し心細くなっていった。ピラミッド駅周辺に着いたのは
夜のちょうど9時ころだった。もちろん直帰。明日もジヴェルニーのツアーがあるのですぐに就寝。
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4月1日(火) |
ジヴェルニー→パリ
ハードスケジュールな日。朝っぱらからジヴェルニーへ行き、夜にはオペラ鑑賞が待っている。
8時過ぎにツアー会社へ到着するも、ここでトラブル発生。
集合時間を間違って知らされていたらしく、バスはもう出てしまったとの事。
なに〜!(怒)せっかく、19世紀印象派の巨匠ともいえる
モネを身近に感じて、近代美術苦手克服のために申し込んだツアーなのに...。
失望感で睡蓮が遠のいていったように思えた。
と、係りの人が即効ガイドに連絡を取り、幸運にも付近にいたバスにぎりぎり飛び乗ることができた。
結果的にツアーに参加することができたが、
当然のことながら、気持ちよくツアーをスタートすることができなかったので、
後日クレームを出すこととなる。
聖書に記されている“隣人を愛せ”の言葉がふと思い浮かんだが、
未だに許せないことは沢山あるのだ。最近の悩みのタネである。
気を取り直し、ガイドに耳を傾けることに。
ジヴェルニーは、パリからおよそバスで80kmほど行った田舎町にある。
モネが晩年をすごしたというこの場所には、かの有名な睡蓮の池や、モネ自慢の庭があるのだ。
この4月1日が、今年の公開の初日であったが、人が沢山いたところを見ると、
どんだけモネが偉大な画家であったかを証明しているようだ。
ここを訪れる人は、ほとんどが日本人とアメリカ人らしい。
池をぼんやり眺めていると、どうやってモネが睡蓮に取り付かれていったのかが想像できる。
不思議なことに、視界に入るたびに表情が変わって見えるのだ。
不思議な感覚にとらわれながら広大な庭を散策し、モネの家の中をぐるりと回った。
彼がジャポニズムの影響を大きく受けていたことはもちろん知っていたが、
家の中には、葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵がところ狭しと飾られていた。
その数は尋常ではない。
ピラミッド付近に戻ってきたのは13時ころだった。そのまま地下鉄に乗ってマルモッタン美術館を目指す。
またまたタイムリーなことに、モネの沢山の作品が見れて感動も倍増。
今までルネサンスにしか興味を示さなかったが、近代美術も良いもんだと初めて思った。
かなりの進歩である。
特に、「日の出」には興奮した。印象派ができるきっかけとなった作品だ。
本当に不思議だ。モネの絵は近くで見ると雑で汚いが、遠くから見るとちゃんとした絵画になるのだ。
すっかりモネの魅力に取り付かれてしまった。
15時になっていたが、まだ昼ごはんも食べていなかったので、サンドウィッチを。
パリの滞在はあと2日間だった。実のところ、サント・シャペル以外はほとんどを見尽くしていたので、
ベルギー旅行しちゃったらどうだ?!という強行突破的な考えを思いついてしまった。
というか、数日前からもくろんでいた。
そして、国鉄の駅にちょうど出くわしたこともあって、迷わずブリュッセルまでの切符を購入してしまった。
中途半端な時間だったためおとなしくホテルへと戻り、8時開園のオペラの時間までまったりとした時間を過ごす。
公演があったのは、オペラバスティーユ。近代的な施設だ。
実を言うと、オペラには何の知識もない。スーパー初心者だ。しかも演目に関して
何のリサーチもしてこなかったので、約2時間、拷問とも言える時が流れることになる。
「オペラ」と言えば「古典」としか思っていなかったので、オペラが始まった瞬間、現代的な舞台を見て拍子抜けして
しまった。
しかも、何を言っているのかわからない&微妙に見にくい席。
一生懸命動きを観察するも、やっぱりなんだかわからなかったが、どうやら恋の物語だったようだ。
ふーん。オペラ、次いつ見ることになるのかな。
なんて思いながら地下鉄でホテルまで戻った。
さーて、明日はブリュッセルだ。
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4月3日(木) |
ブリュッセル→パリ
寝心地は決して良いものとは言えなかったが、結局8人部屋に2人でラッキー!
この日は9時ころにだらだらと起床し、朝食をいただいて出発。わずか16ユーロを支払い、
ユースホステル滞在初体験は無事に終了した。
昨日はとんだ失敗をしてしまったので、今日はまず歩き始める前に地図で確認をし、方向を念入りに記憶して出発をする。
ところが、またもや右も左もわからない状態に陥る。そんな痛々しい姿を見て気の毒に思ったのか、
ベルギー人らしきおっさんが話しかけてきた。
「ニホンジンデスカ?」でた、日本語話せる外国人。どこにでもいるんだな。
まあ、怪しくもなかったし、藁にもすがる思いだったので道を教えてもらうことに。
ちょうど近くまで行く(...どこかで聞いたような展開だが...)というのでしばしの間、
このおっさんと同行することになった。
聞くと日本に留学経験があるとのこと。「オクサンハチュウゴクジンデス」
ふーん...反応に困る。
たわいもない話をし、10分ほど歩いて無事にサン・ミシェル大聖堂まで着いた。おっさんにお礼を言って別れる。
このベルギーのサン・ミシェル大聖堂は、とても雰囲気のある教会だった。
巨大なオルガンが奏でる音は極上だったし、ステンドグラスも外からの光によって輝きを増しているように思えた。
改めて、ここまで連れて来てくれたおっさんありがとう。
続いて、この旅で最後の美術館となるブリュッセル王立美術館へ。またもや探すのには苦労を伴ったが、
なんとか無事に到着。この美術館はとても充実した施設に思えた。
大きく古代と近代で分かれていて、有名な作品も目白押しで、
クライマックスを飾るにふさわしい美術館だった。
ルーベンスをはじめブリューゲルやクラナハ、近代ではマグリットが印象的だった。
すべて見終わったところで、途中で昨日の疲れが出始める。おなかもすいたことだし、
そのまま館内のレストランでサンドウィッチを食べるが、これが結構うまかったことに感動。
時間は15時ころだったので、その気になればどこかへ行けたが、自然と足は地下鉄へと向かっていた。
そんな気力は残っていなかったらしい。
そんなこんなで、無事にタリスに乗車し、疲れのためか即効で眠りに落ちる。
すやすや人が気持ちよく眠っているのに、ふと誰かに起こされる。
おっと!抜き打ち入国検査だ。
パスポートも持ってるし、悪いことはしてないので焦ることはないが、いきなりだったので焦った。
どうやら全員ではなく、怪しげな人物のみをピックアップしているようだ。
旅の目的やら何やらいろいろと聞かれたが、無事に終了しパリに到着した。
その瞬間、故郷へ3年ぶりくらいに帰ってきたような安心感がよぎる。
ベルギーは良かったけど、EU本部がある割にはあまりパッとしなかった。
そこそこボリュームはあったものの、自分のリサーチ不足だったことも追い討ちをかけたようだ。
そのままなれた足取りでホテルへ戻り、少し休憩してから、恒例となった最後の晩餐へ。
表通りは人がいっぱいいるので裏通りへ入りこむ。
30分ほど歩いた甲斐があって、空いてて雰囲気のいいレストランを発見、
もちろんフルコースを注文。
世の中にこんなうまいもんがあったとは...!!!しばらく家畜のえさ
のようなものばかりを食べていたせいか、
やらかいビーフをかみしめた感動は何倍にも膨れ上がった。
もう食えないはずなのに、デザートはしかっりと完食。
一生懸命、英語で説明してくれた親切なウエイターにチップを弾ませ、ホテルに戻った。
明日はヨーロッパとのお別れだ。
倍増した荷物をパックをし、数日後に控える社会復帰のことを考えて瞑想した。
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4月4日(金) ↓ 4月5日(土) |
パリ→北京
慣れた場所を去るのは、言葉にならないほど寂しいものだ。いろんなことがあったが、
終わりよければすべて良し。
再びロワッシーバスに乗車し、パリの町とおさらばをした。
「方向音痴、乗り物酔い、高所恐怖症」の3点セットを背負いながら、無事に帰りの飛行機に
乗る事ができた。記念は足に負った軽傷だ。
このたんこぶは、数ヶ月間も粘り強くスレンダーな足に残ることになるのだ。
帰りは順調だった。飛行機はがっらがらだったし、機内食も食べたし、読書も進んだ。
残ることといったら、社会復帰に向けての瞑想トレーニングくらいだろう。
次の旅行は夏休み、数日後、そのことだけを考えて仕事に復帰したのだった。
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