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~フランス・ベルギー旅行記~
【フランス・ベルギー旅行記】  2008年3月25日(火)〜4月4日(土)

サクレ・クール寺院  ヨーロッパ、命知らずの旅行シリーズ第2弾。春休みを利用した11日間の旅。 前回同様、命の危険にさらされる場面はいくつかあったものの、ほとんどのノルマの達成に成功。イタリア旅行を ルネサンス芸術の旅とでも言うのなら、今回はバロック〜近代芸術に中世を少々ふりかけた旅、とでも言おうか。
 まったく脳みそにインプットされていないフランス語が難関として立ちふさがっているものの、 英語で何でも済ましてしまおう!という英語を母国語とする国の人々の語学への無関心さ、に近いものを 心に抱きつつ、目には見えないトリコロールの旗を掲げて出発したのだった。

■ フランス
   マドレーヌ寺院
   オランジェリー美術館
   装飾芸術美術館
   広告博物館
   モード&テキスタイル博物館
   ルーヴル美術館
   バルビゾン
   フォンテーヌブロー城
   オルセー美術館
   コンシェルジュリー
   ノートルダム大聖堂
   中世博物館
   パンテオン
   ピカソ美術館
   カルナヴァレ博物館
   国立近代美術館
   サン・ジェルマン・デ・プレ教会
   ドラクロワ美術館
   サン・シュルピス教会
   ロダン美術館
   アンヴァリッド
   サクレ・クール寺院
   モンマルトル博物館
   ヴェルサイユ宮殿
   モン・サン・ミシェル
   ジヴェルニー
   マルモッタン美術館
■ ベルギー
   ノートルダム大寺院(アントワープ)
   アントワープ王立美術館
   ホーボーケン
   サン・ミシェル大聖堂(ブリュッセル)
   ブリュッセル王立美術館


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3月25日(火) 北京→パリ
 昼のフライトということで、ゆっくり出発。今回はイタリア旅行ほど 下調べ的なものをすることができなかった。というかしなかった。こんなことを言うのは何だが、 イタリアほど興味はない...。というのも、フランスが芸術的に発展を遂げたのは ロココ時代の18世紀ころからである。 ルネサンスを専門とするものにとっては近代芸術すぎるのだ。まあ、教会などの建築や美術品の コレクション数、という視点から見ればはすばらしいと思うが。 それに、ルーヴル美術館を舞台にしたダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ コード」 の背景をたどるのも魅力的だ。と偉そうに言ってみたものの、数年前に読んだ本の記憶というものは 儚い。本当は読み直そうとしたのだが、手元にないという理由で断念した。 仕方なくとバックにしまいこんだのは「天使と悪魔」だった。体はフランスを旅しながら 精神はイタリア、という少々ややっこしい旅になりそうな予感がしていた。
 一番安かったと言う理由でエア・チャイナを利用。中国国際航空。恐ろしく墜落しそうな響き。 「中国の飛行機は部品に安いものを使っているから利用するな」 という数年前に言われた親の助言を思い出すも、結局、 まぁ直行便だし安いしいいか、という結論に達した。
 「高所恐怖症+乗り物酔い」の人間にとって飛行機は地獄そのものだ。何度乗ろうが慣れは来ず。 揺れる=墜落の公式が脳内を攻撃し始める。 気を散らそうと本を読むも集中できず、気圧が安定するまではシートにしがみついていた。 ようやく揺れもおさまったころ、乗客のほとんどが中国人だということに気づく。飛行機内を自由に移動する中国人。 やたらとオッサンが多いが、一体パリに何しに行くのだろうか。 パリとはまったく縁がなさそうだ。というわけで、中国人お得意の「カーッペッ」を終始聞くことになる。 そう、のことだ。エチケット袋の使い方間違えてないか? ...とケチったために、こういうところで不快な思いをするのだった。 こんな拷問が11時間と30分続き、ようやくパリに到着した。
 飛行機で寝違えたせいで到着早々、頭痛が発生。我慢しながらロワッシーバスに乗車し、 50分ぐらいでオペラ座に到着。ふーん、ここがオペラ座ね、と見上げながら、 右も左もわからないが地図を頼りにホテルまで徒歩。 ガイドブックによく載っている「荷物が多いときはタクシーを利用したほうがベター」 という適当そうな助言はもちろん無視だ。 ほらね、30分ほどで無事に着くんだよ。その日は即死だった。

4月26日(水) パリ
マドレーヌ寺院  張り切って6時に起床するも、頭痛&脱水症状でテンションは低い。 ホテルは狭いがきれいだ。 バストイレは付いているが冷蔵庫はないため、人間の約60%を占めていると言う非常に大切な水分が 補給できずにいた。とりあえず8時の朝食まで我慢することにし、2度寝する。 待ちに待った8時がやってきて朝食を食べに行く。フランスパンと紅茶。そんだけ?と思って しぶしぶパンを口にする。「うまっ!」馬鹿にしてごめんよ、フランスパン。これこそ本場のフランスパン、外は パリッ、中はフワッとしつつも歯ごたえを残し、香ばしい風味と濃厚なバターが奏でる旋律は、 ショパンのノクターンといったところであろう。 胃袋は満足したが、残念ながら頭痛はまだ激しかったため、結局昼の12時まで寝ていた。 時間がもったいないという焦りを感じ、無理やり起き上がって観光を決行することに。 アスピリンに酔ってふらふらしながら地下鉄に乗り、 とりあえずマドレーヌ駅を目指した。 チュイルリー公園
 マドレーヌ寺院に到着。久々のカトリック聖堂に感動を覚えながらも、 頭痛がそれを妨げていたため短時間で撤収。予定していた凱旋門は時間の都合上パスし、 とりあえずコンコルド広場近くのチュイルリー公園でダイエットコークを片手に一息つく。 炭酸の力、恐るべし!炭酸がゲップと化して気分も好調!瞬く間に頭痛は治まった。 ということで観光を続行、まずは近場のオランジェリー美術館へ。 な、並んでいる。寒い中、30分ほど待ってようやく館内に入場。迷わず4日間のミュージアム パスを購入して、フランスの美術鑑賞ツアーが無事に開幕した。
 ここでの見所はおそらくモネの巨大な睡蓮画シリーズであろう。そしてルノアール、 セザンヌ、マティスなどの近代画家の作品だ。...あれ、おかしいな。あまり感動がない。 宗教、神話、歴史画を好む傾向がある者にとって、 こういった近代画家が主題に取った静物、風景画などにはなかなか心は動かないのだ。どで〜んと座っている。 これは大問題である!これから鑑賞するであろうほとんどの作品はこういった近代ものだ。 ここで心が動かなければ、この先見るものは何一つ感動しないといっても過言ではない。 とりあえずすべての作品を見たという満足感を優先させることにし、 空腹を理由にして美術館を退く。探すのが面倒だったため、公園内のオープンカフェでサンドウィッチとコーヒーを注文。
 それから装飾芸術美術館、広告博物館、モード&テキスタイル博物館を目指す。 はっきり言って時間の無駄であった。服飾に興味のあるものなら モード&テキスタイル博物館でかなりの感動が得られたであろう。元グラフィックデザイナーという肩書きを 持ちながらも、広告博物館の鑑賞は5分程度で終わってしまったし、 装飾芸術美術館は「へっ?」という感じだった。 こうなったら元祖、ルーヴル美術館しかない!と思い、斜め向かいにある ガラスのピラミッドにそのまま吸い込まれていった。 カノーヴァ
 でかい!アートアミューズメントパークという名がふさわしいほど人でごった返している。 この規模の大きさ、多くの人間、そして時間制限という3要素は、大きな焦りとなって精神と肉体を攻撃し始めた。 走った。天から舞い降りてきたすべて観よ!という指令 のもと、リシュリュウ翼の彫刻からスタート。 この日は22時まで開館している日だったので、おかげさまで半地階、1階、2階の約70%を鑑賞できた。 やっぱりルネサンス万歳!ミケランジェロの彫刻、ダ・ヴィンチ、ラファエロ、 カラヴァッジョなどのイタリア絵画に念願の 「心を動かされる」体験をし、すっかり安心をしたのだ。 途中、ミュージアムカフェで夕食を済ませ、鑑賞が終わったのが21時。ご満悦でホテルへと戻った。

3月27日(木) バルビゾン→フォンテーヌブロー→パリ
 雨、ときどき曇り。せっかくの遠出に天候は味方してくれない。本日はフォンテーヌブロー城とバルビゾンの ツアーに参加する日である。8時15分集合だったが、早くついてしまったため、オペラ座付近の カフェで朝食をとる。アップルパイと紅茶。あ〜。世の中にこんなにおいしいものがあったとは...!!! 普段からジャンクフードで空腹を満たしている人間にとっては、こういった素朴なものも 高級食材に値する。 そうこうしている内に集合時間になり、観光バスに乗って無事に出発した。 参加人数13名。13...。 13日でも金曜日でもないが、とても不吉な数字だ。しかもこの奇数を作っているのは一人で参加している自分である。 何もないことを願いつつも、とりあえずシートベルトを装着し、 バルビゾンという小さな村に着くまでおとなしくガイドに耳を傾けることにした。 バルビゾン
 1時間弱を走ると、辺りはすっかり田園風景になっていた。 ルソー、ミレー、コローなどがフランス革命や近代化を逃れ、 自然を求めてたどりついた場所である。途中、ミレーの「晩鐘」が描かれた場所も通ったり、 情緒のある温かい町並みを見学し、魂は19世紀をさまよっていた。 これこそ大自然、バルビゾン派!といった感じだった。
 バスに揺られること15分、次なる目的地フォンテーヌブロー城に到着。 ツアーに参加したきっかけとなった場所である。 フランソワ1世がこの城に滞在していたとき、イタリアから芸術家を招き、 ルネサンスを採り入れたというこの城を見るのが目的であった。 適度な豪華さとスケールは嫌味のないもので気に入った。 舞踊会の間では、マニエリスムの画風をもつロッソに描かれた官能的な壁画が見られた。 フォンテーヌブロー イタリアでは神を賛美するため、聖書に基づく厳格なキリスト教絵画が施されたが、 ここフランスのお城では、そういった制限もなかったためか、ダイナミックかつ自由な画風が感じられた。
 午前中のツアーだったので12時ころには切り上げ、パリに到着したのは13時ころだった。 時間をセーブするためサンドウィッチを買い、お昼ごはんとしてチュイルリー公園で頂く。その足でルーヴル2日目へ。 3階のフランス絵画を鑑賞。ギリシア神話を主題にしたプサンの作品を多く目にしたが、 どれも修復が必要なくらい暗かったのが残念だ。感動的だったのは、ラ・トゥールの作品だ。 彼の作品はわずか40ほどと聞いているが、ここルーヴルに7点もの作品が確認できた。 ろうそくの明かりに照らされた人物像は、非常に神秘的である。その後、2,3時間ほど徘徊を続けた。
 かなりの疲労感があったものの、徒歩10分ほどのところにあるオルセー美術館へと向かった。とそのまえに、 遭難したときの氷砂糖からヒントを得て、おやつ休憩をすることにした。 近くのカフェでアップルパイとコーヒーを注文し、しばしまったりする。 HPも少なからず回復したので目的地へ向かった。 オルセー美術館 まずは建物に感動。そう、ここは駅を改造したユニークな美術館だ。入り口から全体を眺めることができる。 そして、たしかここにはバルビゾン派の名画がたくさんあるはずだ。なんてタイムリーなんだろう! あるある、ミレーの「晩鐘」やらクールベの「オルナンの埋葬」やら。 教科書のオンパレード。 名画を発見するたびに興奮はするが、この時点で、名画を見すぎて感覚が麻痺している自分に気がつく。 名画を目にする機会が多いほど、やはり感動はその数で割られてしまうのだ。 名画=感動÷名画の数、美術鑑賞の新しい定理だ。 その上、歩きすぎて足がちぎれそうだ。一部屋見てはベンチに座り、というパターンを繰り返すため、 ある老夫婦とペースが同じだったりするのだ。 いくら疲れていても手は抜かない、これが美術鑑賞のルールだ。すべてを鑑賞し終わったのが19時ころ、 麻痺した足を動かしてホテルへと戻った。少し休んでからインドレストラン街に繰り出し、 インドカレーを食べる。フランスまできて何故にカレーを食うか?

3月28日(金) パリ
 ツアーも申し込んでない日なので、ゆっくりと鑑賞できる日だ。いつものように地下鉄を利用して、この日は シテ島で下車。サント・シャペルは列があったので、先にコンシェルジェリーへ。 この判断が後で悲劇を招くことになる。コンシェルジェリーは恐ろしかった。 マリー・アントワネットが、ギロチンにかけられるまで過ごしていたという独房を見る。 結構いいとこじゃん。ベットも机もあるしさ。下手したら実家の自分の部屋より豪華である。 彼女は、死刑まで1日のほとんどを祈って過ごしていたらしい。少し同情して気の毒に思う。 ノートル・ダム大聖堂
 サント・シャペルへ行こうと外へでると、さっきよりも長い列が!げげっ。ありえない光景が 広がっていた。研修旅行か何なのか、日本の女子大生っぽい団体が100人くらい入り口でひしめいている。 色彩豊かな東方ゴキブリの来襲とでも言おうか、カサカサカサカサしていた。 「あいつ日本人じゃねぇ?!」という痛い視線を感じる中、ぞっとしてその場を一目散に通り過ぎた。 後で来ようと諦めてノートル・ダム大聖堂へ。ここはノーコメントで。ただ、人の多さはヴァチカン級だ。 続いて中世博物館へ。遺跡が残る敷地内、建物にも趣があった。 たくさんのタペストリーや彫刻を見ることができたが、フランス人小学生の団体がうざい。 全裸の彫刻のケツを指差して喜ぶクソガキども。 監視員に叱られっぱなしのこいつらを鑑賞するのが、ここでの一番の見所だった。 中世博物館
 続いてパンテオンへ。1階は彫刻や壁画がたくさんあり、地下はフランスの偉い人たちの 墓所であった。やべー、ほとんど名前も聞いたことない人たちだ。いかに自分がフランス史について 無知であるかを再確認してしまった。ソクラテスによる無知の知をリアル体験し、 退屈だったので早々と立ち去った。来た道を戻って 先ほど逃したサント・シャペルへ。その途中、クレープの誘惑にあう。うまい! 入り口に到着、ラッキー!さっきよりも列が短いぞ。と15分くらい並んでいた。 といきなり係りの人が出てきて何か言っている。フランス語だ。立ち去る人々。なになに? フランス語がわからないと思われる外国人数名が入り口に集まる。 なんだとー!昼休憩に入るから鑑賞は終了だと!?先に言ってくれ〜!
 パリ滞在は長い、また後で来ればよいと自分に言い聞かせ、往生際よくその場を去りピカソ美術館へ行くことに。 その途中、またもやクレープの誘惑にあう。 調子に乗ってクリームを注文したため、まさかのクリーム+砂糖のダブル攻撃に合い、 完食には至らなかった。 ここから、悪夢の方向音痴パレードが始まる。方向音痴なくせして勘に頼りたがる、そんな 悪い癖がついつい出てしまうのだ。人に聞いた時点でゲームオーバーだ。意地でも自分の力で探し出そうとする。 同じ道をうろうろ、いらいら。結局20分の距離を1時間くらい歩いていただろうか。 ようやくピカソ美術館に到着し鑑賞するも、思ったほど作品は多くなく感動も少なかった。いわゆる最悪のパターンだ。 気を取り直して隣接するカルナヴァレへ。誰一人として 芸術家はわからなかったが、無料のくせして見ごたえがあった。
 外へ出ると雨と風が歓迎してくれた。 歩くだけで体温を2,3℃持っていかれるのがわかる。ついでに足はがくがくだ。 普通の人間だったらここで帰るだろう。だが、ノルマを達成するまではホテルのドアは開かれない。 足はサイボーグと化し、最も苦手分野であるスーパーモダンアートを克服するため、 国立近代美術館を訪れる。そう、いつも教科書の最後に出てくるモンドリアン、ジャン・デ・ビュッフュ、 カンディンスキーなどの作品だ。近代美術は理解するのが難しい。ルールを持たない自由に創作された作品は、 確かに魅力的な部分もあるが、物にあふれた現代社会の贅沢さを連想させる。 すべてを鑑賞しきったあと殺人級な考えを思いつく。 リヴォリ通りのショッピング街を歩きながらルーヴルを目指す、というアイデアだ。 昨日見れなかったルーベンスなどのフランドル派を見るために、ついにルーヴル3日目。 でました!ルーヴルといえば、必ず取り上げられるこのルーベンスの部屋。マリー・デ・メディチ の発注で描かれた大きな絵画である。筆のタッチがとてもやわらかく、描かれている人物がそのまま 浮かび上がってくるようだった。やっぱりルーベンスは、うわさ通りデブ専だったのだろう。 キモいと嫌われるぶよぶよした脂肪も、ルーベンスの手にかかれば美しいものに変化してしまう。 自分の中で、密かにルーベンスマジックと命名した。 その続きでドイツ絵画を見ようとするが、ちぇっ。閉まってやがる。また明日来なければ。とすっかり ルーヴルのリピーターになった自分に苦笑し、麻痺した両足を無理やり動かして、 無心のままホテルへと戻った。

3月29日(土) パリ
 今日も近場をゆっくりと観光できる日だ。朝一にサン・ジェルマン・デ・プレ教会へ。 ロマネスク様式の造りなので、ほかの教会と比べると若干質素に感じた。 窓が小さいので光が中まで届かないせいでもあるだろう。中は暗く、早朝ということもあって人の気配をあまり感じなかった。
 ついでということで国立ドラクロワ美術館へ。開館の10分前に着いたため、開くまでしばし待つことに。 結局開いたのは10分遅れた9時40分。こらーっ。どうせ朝からこんなとこに来るやつなんて いねーとか思ってんな...。本日お1人目、ご入場。ここはドラクロワの住居兼アトリエだったので、 作品だけではなく調度品などが醸し出す雰囲気も楽しむことができた。まあ、ぱっとした絵はなかったけど。 しかし、さすが国立。客1人に対して職員が10数人。こういうのを経費の無駄遣い と言うのだろう。
 続いて徒歩10分くらいにあるサン・シュルピス教会へ。 たしかここは「ダ・ヴィンチコード」の舞台となった教会だ。 しかしながら、何一つ思い出せない自分の乏しい記憶力を考えて深く悲しむこととなった。 読み直せなかったのが悔やまれた一瞬である。とにかく大きな教会で見ごたえは十分にあった。
 気を取り直してロダン美術館へ向かう。十分歩ける距離ではあったが、 前日までの経験で歩く→疲れるという法則を発見したので、 なるべく電車を使うように心がける。2回も乗り換えをしなければならなかったが、30分ほどで到着した。 何も考えてなかったが、晴れている日に来て良かった。 なんせ、ロダン美術館の作品は多くが外に飾られているからだ。 ロダン美術館 彼の作品は結構好きだ。ダイナミックな動きと曲線が、ミケランジェロを彷彿とさせる。事実、 ロダンは彼の追随者でもあった。それと、手の表現が力強く独特で、殊にすばらしいと思う。広い庭をしばらく徘徊、 現代精神病のひとつである「引きこもり」を患う者からすれば、この30分ほどの散策が、 1か月分ほどの光合成の役割を果たしたことだろう。
 隣接するアンヴァリッドへ。しつこいくらいに大砲が展示されている場所だ。 まずはナポレオンの墓を見学。ひたすらシャッターをおろす人々。 アンヴァリッド 「ん?」何で墓を写すんだろう?という素朴な 疑問が浮かんだ。人間の行動というのは、客観的に見てみると滑稽だったりする。 現像したときナポレオンが心霊写真のように浮かび上がってくるのだろうか。 念のため、シャッターを切る。続いて、同じ敷地内にある軍事博物館へ。結構好きな分野だ。 ここでは戦争に関する資料や歴史、勲章、軍服などを展示していた。 館内に鳴り響く爆撃音やサイレンは、すぐにタイムスリップの手助けをし、 頭の中の妄想は爆発寸前であった。 また、保存のためか館内はとても暗かったので、軍服を着た蝋人形を見るたびに寿命を縮めていた。 悲惨な写真もいくつかあり、改めて戦争は二度と起こすまいと心に誓い後にした。 お次は待っていました!武器・武具博物館へ。やはり血が騒ぐ。 特に興味があるのは、鎧などの防具である。ほとんどの人の興味はおそらく武器に集中するだろう。 受け身というネガティブな役割を与えられているにもかかわらず、それらの鎧の存在感の大きさ。 そして、曲線部分のヒダは最高の芸術作品としか言いようがない。 こういった感じでアンヴァリッドでは充実した時間をすごした。
 この後は言うまでもないだろう。またもやルーヴルへと向かった。 近いと思って歩いたが結構な距離を歩いてしまい、午前中の電車に乗った努力が水の泡に。 とその前に、遅い昼食としてまたもやサンドウィッチを。お金というよりも時間の節約だ。 その後、昨日見れなかったドイツ派の絵画と、 イタリア、フランス絵画をもう一度鑑賞した。一番の感動はジェラールの「エロスとプシュケ」 かもしれない。思ったよりも色彩が鮮やかだった。 夕方ころ鑑賞が終わり、時間もあったので街をぶらつくことに。途中、火事現場に遭遇し、好奇心旺盛なパリ人と 野次馬をしたが、煙の気配すらなかった...。金曜の夕方なので、みんなとっても楽しそうに 買い物を楽しんでいる。こんな風に日常のパリに触れ、 中国へ帰りたくない度は150%にまで上昇していた。 ホテルに到着したのは20時ころだった。

3月30日(日) パリ→ヴェルサイユ
 ヴェルサイユ宮殿へ行く!ところが雨...。何となく晴れの日に行きたかった、 という理由で大幅にスケジュール変更をする。こういう 適当な計画が後で不幸を招くというのはすでに体験済みだが、 もしもの可能性にかけてもう一度自分を信じる。そんなわけで、モンマルトル周辺を旅することに決めた。 サクレ・クール寺院 今回滞在したホテルが非常に交通の便がよいところにあったので、モンマルトルにも30分以内で到着。 ホテルの場所は大切だ。 まず目指したのは白くそびえ立つサクレ・クール寺院。 しかし、その白亜の寺院にたどり着くには、階段という難関をくぐらなければならなかった。 必死に息を切らしながら登った甲斐はあった。そこからの景色はまるで雲の上にいるようにすばらしかった。 寺院の中は日曜と言うこともあって、ミサに来ている人々を含め観光客でごった返していたため、 ドームの修復工事の募金をしたあと足早に外に出た。
 人の流れに乗ってそのままテアトル広場へ。自分の作品を売っている画家や、似顔絵を描いている画家がたくさんいた。 観光客相手とは言え、こういう空間があることは、一人の美術家としてとても嬉しいことである。 テアトル広場 贅沢品と思われがちな芸術であるが、人は無意識のうちに美を求めるものだ。 時間に余裕があれば自分の姿を絵に描き出してもらいたいもんだったが、 秒刻みのハードスケジュールを考えて先に進むことにした。
 続いてモンマルトル博物館。くしゃみでもしていたら通り過ぎてしまいそうなくらいこじんまりとしている。 音声ガイドをかりて鑑賞した。「あ、見たことある!」級の ロートレックの作品を数枚見たが、それほど感動もせず。オリエンタリズムの影響が色濃く残る 作品は、どことなく冷たく寂しい感じがしてしまう。むしろ、画家が一時期住んでいたという ところに興奮を覚えた。外に出るとまたぽつぽつ始まった。ここから傘は手放せなくなる。 5分ほど歩いてルノワールの名作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の舞台へ。 ムーラン・ド・ラ・ギャレット 外観しか見ることはできないが、「あぁ、あの絵の舞台ね...」と納得する。 ついでにゴッホのアパート前で写真をとり、ピカソやブラックがアトリエとしていた アトリエ洗濯船前でも写真をとり、雨も激しくなってきたので寺院近くのカフェへと避難した。 サーモンのサラダを注文。最初は「うまっ!」と食べていたが、だんだんとチーズが濃く感じてくる。 自分が日本人であったことを思い出した瞬間であった。わりと要領よくまわれたのか、食事が終わったのが12時前後だった。 これといって予定を立てていなかったため、 「ヴェルサイユ宮殿へ行っちゃえ!」というとんでもない事を 思いついてしまったのだ。「ヴェルサイユ宮殿で迷う子羊」になるのも知らずに。
 とりあえず国鉄に乗ろうとアンヴァリッドの駅へ。現地で並ぶのは嫌なので、切符と一緒に チケットを買う。それから列車で30分。割と近いところにあるんだ。と思いながら宮殿へと向かう。 まず宮殿を見た最初の感想・・・「でかっ」。 財の限りを尽くした豪華絢爛な宮殿は、ある日本人旅行者によってこの一言で片付けられてしまった。 またもや天から舞い降りてきたすべて観よ!という指令 のもと、音声ガイドに従いながら順々に部屋を覗き込んでいった。 凄いは凄い。けど、鏡の間にしても礼拝堂にしても、なんでこんなに感動が少ないんだ? 鏡の間 その理由はフォンテーヌ・ブロー城にあった。そこそこ豪華な城を見てしまっていたからに違いない。 結局、1時間半くらいで宮殿内のの見れるところはほとんど見尽くした。 さて、次に何をするか。時計はまだ3時ころだったので、敷地内にあるグラン・トリアノンやプチ・トリアノンへ行こう、 ということになった。雨は降っていたが、ミニトレインを利用すれば、広い敷地内を効率よく疲れずに見ることができる。 と、ミニトレイン乗り場でしばし待つ。雨にも負けず、風にも負けず... でも嵐には負けてしまった。 寒い!寒すぎる。これは紛れもなく我慢大会に近い。10分ほど嵐の中を立ち尽くしたが、銀河鉄道999と化した ミニトレインに無事に乗車することができた。 あー快適快適。6ユーロ払ったかいがあったもんだ。 まずはと、プチ・トリアノンで下車。「ん?」何やら様子がおかしいぞ。まさか... 工事中チーン。去ってしまったミニトレインの後ろ姿を寂しく見送る。 まあまあ、こうなったらマリー・アントワネットがときどきすんでいたという村里にでも行ってみよう。 と気を取り直したものの、結構そこから30分ほど歩くことになった。傘を差しつつ水溜りを 極力避けながら進むも、足場は泥だらけ。寒さも手伝って半泣き状態に。 村里 ようやく到着したが、村の写真をパチパチとっただけで、さっき降りた乗り場へまた戻ることとなった。 あれ?乗り場がなくなってるぞ。まさかね、と時計を見ると4時ちょっとすぎ。さっきもらった パンフレットには5時まで走っていると書いてある。 ま、グラン・トリアノンはそんなに距離はないし、歩いていこう、と10分ほど歩いて到着。 中を見ようと入り口へ行くが、閉まっている。おかしいな。 パンフレットには5時閉館と書いてあるぞ。???しかたない。建物は見たことだし良いか、 と前向きに考えた。さーてミニトレインに乗って帰るか!と思ったがやはり乗り場はないし、 来る気配もない。歩いて宮殿まで帰るしかなかった。
 たかが庭、されど庭。この広さは殺人的だ。 ここから遭難する。地図を見ていながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりin 嵐。 出口のない迷路とでも言おうか、まるで天才が作った迷路をさまようパチンコ玉のようであった。 そして、テンションは地中を突き刺さり、限りなくマグマに到達していた。 ちぎれそうな足を引きずりながらも宮殿が視界に入ったとき、ある誓いを心にたてた。 ヴェルサイユ宮殿には二度とこまい。
 帰りの電車はまさに天国に感じられた。 しばらくすると調子が戻り、いけない考えを思いつく。 自分の学習能力の低さに唖然とするも、ここまできたらもうどうしようもない。 そう、エッフェル塔へと向かったのだ。 高所恐怖症と乗り物酔いは、大人になってから発覚した。結果的に遊園地には向かないが、 人間はスリルを追い求める動物だ。酔い止めまで飲んでジェットコースターで騒ぎ、 観覧車に乗って後悔をするタイプだ。 昼の失敗を忘れるためには、このスリルを選ぶしかなかったのだ。 1階、2階、最上階と選べるのだが、調子に乗ってチケットカウンターで最上階と口を滑らせてしまった。 276mである。 1階についた時点ですでにギブだった。2階に到着。写真どころではない。 最上階と記された手元のチケットを見つめる。結局、最上階のエレベーターへと続く列に並ぶ。 エッフェル塔 このときの心境はおそらく、ギロチンの順番待ちをするマリー・アントワネットに近いものだったであろう。 エレベーターは恐怖としか言いようがない。 やがて全身は痙攣をはじめ、顔から血の気がサッと引いていった。「これはいかんっ!」 着いた瞬間、景色も見ずに反対側へ回って下へ行くエレベーターに並ぶ。 最上階の滞在時間では、おそらく即席ラーメンもつくれなかったであろう。 足を地にした瞬間、いつもよりも重力に感謝した。 といったように、この日はかなり最悪な一日を過ごしてしまったが、この後、さらに最悪な日が 待ち受けているということは知る由もなかった。 ホテルに帰宅後、まさかとは思い一応テレビをつけて時間を確認。「ん?」勘弁してよ〜! 1時間進んでるじゃん。サマータイムかよー!って言うか、はやく気づけ!

3月31日(月) モン・サン・ミシェル
 3月最後の日。今日こそは良い日になるよう祈る。この旅のハイライトとも言えるモン・サン・ミシェル のツアーだ。朝7時集合、夜9時解散という1日を要す長い旅。Cityrama社を利用したので 外国人(自分もそうだが)とともにツアーをする羽目になる。そのほうが良いが...。 日本人は3割ほど、イタリア人2割。後はイギリス&アメリカ人(おそらく)であった。 日本語ガイドを担当したのは、 怪しい日本語を話すフランス人のおっさんであったが、 けっこうイカすギャグを言っていたので気に入った。 日本語+英語+イタリア語でのガイドも聞けたので、ちょっとお得な気分であった。 頭の中は絶えずスイッチが入れ替わり、フル起動していた。
 モン・サン・ミシェルまでの道のりは長かったが、天気も良かったので景色を楽しんだ。 ところが!近づくにつれて徐々に雲行きが怪しくなり、モン・サン・ミシェル手前の レストランでランチをとったころには、またもや 雨、風の嵐ともいえるべき状態であった。 ランチはあまり豪華なものとは言えなかったが、一応フルコースを頂いたので満足。 名物のふわふわオムレツは、よーく味わって頂いたものの、やはり泡の味しかしなかった。
 食事が終わりレストランを後にする。モン・サン・ミシェルと広大な大地が目の前に広がる。 まさしく、「聖地」としか言いようのない光景だ。 確かに天候は悪かったが、それが逆に風景と調和して、まるで霞みがかった天国に来ているような感覚にとらわれた。 そして、修道院へ続く道には、たくさんの羊が放し飼いにされていて、これも目を喜ばせた。
 モン・サン・ミシェル。やはりこの旅のNO.1に選ばれてしまった。 こんな幻想的で神秘的な修道院は今まで見たことがない。 大天使ミカエルのお告げで建立された修道院。 中は残念ながら一部が火事で失われたが、修復が行われ、 8世紀から13世紀のゴシック&ロマネスク建築を見ることができた。 カトリックなのに質素なのは、ほとんどが戦争時に盗まれてしまったからだそうだ。 何度も確認するが、確かに天候は最悪だった。けど、その雰囲気がこの島とその周りに調和していて 大規模な芸術と化し、夢の中にいるかのように幻想的だった。 さすが世界遺産! 「夕方6時を過ぎる何もすることがなくなる」というこの島に、1週間くらいは滞在してみて、 現在社会の欲望から逃れてみたいもんだ。 しかし一番痛かったのは、カメラをを忘れてきてしまったことだろう。これには結構泣きそうになった。 まあ、近々リベンジしに来る理由ができたと言うもんだ。
 それにしても人が多い。こういった観光地になってしまうといろいろ問題がつきものだ。 なんと、現在架かっている橋のせいで潮流をせき止めてしまっているらしい。 これが続くと、もはや島ではなくなってしまうらしく、現在工事が進められているらしい。 一通りガイドで院内を回った後、自由時間で再入場し、かなり充実した時間を過ごした。 4時半の出発の時間まで、おみやげやで時間をつぶし、クレープを食べる。 感動のままモン・サン・ミシェルを去った。帰りはかなり疲れ果てていたが、どんどん遠くなっていく モン・サン・ミシェルを見て少し心細くなっていった。ピラミッド駅周辺に着いたのは 夜のちょうど9時ころだった。もちろん直帰。明日もジヴェルニーのツアーがあるのですぐに就寝。

4月1日(火) ジヴェルニー→パリ
 ハードスケジュールな日。朝っぱらからジヴェルニーへ行き、夜にはオペラ鑑賞が待っている。 8時過ぎにツアー会社へ到着するも、ここでトラブル発生。 集合時間を間違って知らされていたらしく、バスはもう出てしまったとの事。 なに〜!(怒)せっかく、19世紀印象派の巨匠ともいえる モネを身近に感じて、近代美術苦手克服のために申し込んだツアーなのに...。 失望感で睡蓮が遠のいていったように思えた。 と、係りの人が即効ガイドに連絡を取り、幸運にも付近にいたバスにぎりぎり飛び乗ることができた。 結果的にツアーに参加することができたが、 当然のことながら、気持ちよくツアーをスタートすることができなかったので、 後日クレームを出すこととなる。 睡蓮の池 聖書に記されている“隣人を愛せ”の言葉がふと思い浮かんだが、 未だに許せないことは沢山あるのだ。最近の悩みのタネである。
 気を取り直し、ガイドに耳を傾けることに。 ジヴェルニーは、パリからおよそバスで80kmほど行った田舎町にある。 モネが晩年をすごしたというこの場所には、かの有名な睡蓮の池や、モネ自慢の庭があるのだ。 この4月1日が、今年の公開の初日であったが、人が沢山いたところを見ると、 どんだけモネが偉大な画家であったかを証明しているようだ。 ここを訪れる人は、ほとんどが日本人とアメリカ人らしい。 池をぼんやり眺めていると、どうやってモネが睡蓮に取り付かれていったのかが想像できる。 不思議なことに、視界に入るたびに表情が変わって見えるのだ。 モネの庭 不思議な感覚にとらわれながら広大な庭を散策し、モネの家の中をぐるりと回った。 彼がジャポニズムの影響を大きく受けていたことはもちろん知っていたが、 家の中には、葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵がところ狭しと飾られていた。 その数は尋常ではない。
 ピラミッド付近に戻ってきたのは13時ころだった。そのまま地下鉄に乗ってマルモッタン美術館を目指す。 またまたタイムリーなことに、モネの沢山の作品が見れて感動も倍増。 今までルネサンスにしか興味を示さなかったが、近代美術も良いもんだと初めて思った。 かなりの進歩である。 特に、「日の出」には興奮した。印象派ができるきっかけとなった作品だ。 本当に不思議だ。モネの絵は近くで見ると雑で汚いが、遠くから見るとちゃんとした絵画になるのだ。 すっかりモネの魅力に取り付かれてしまった。 15時になっていたが、まだ昼ごはんも食べていなかったので、サンドウィッチを。
 パリの滞在はあと2日間だった。実のところ、サント・シャペル以外はほとんどを見尽くしていたので、 ベルギー旅行しちゃったらどうだ?!という強行突破的な考えを思いついてしまった。 というか、数日前からもくろんでいた。 そして、国鉄の駅にちょうど出くわしたこともあって、迷わずブリュッセルまでの切符を購入してしまった。 中途半端な時間だったためおとなしくホテルへと戻り、8時開園のオペラの時間までまったりとした時間を過ごす。 公演があったのは、オペラバスティーユ。近代的な施設だ。 実を言うと、オペラには何の知識もない。スーパー初心者だ。しかも演目に関して 何のリサーチもしてこなかったので、約2時間、拷問とも言える時が流れることになる。 「オペラ」と言えば「古典」としか思っていなかったので、オペラが始まった瞬間、現代的な舞台を見て拍子抜けして しまった。 しかも、何を言っているのかわからない&微妙に見にくい席。 一生懸命動きを観察するも、やっぱりなんだかわからなかったが、どうやら恋の物語だったようだ。 ふーん。オペラ、次いつ見ることになるのかな。 なんて思いながら地下鉄でホテルまで戻った。 さーて、明日はブリュッセルだ。

4月2日(水) パリ→アントワープ
 旅は刻々と終わりに近づいている。 今日から2日間にわたって繰り広げられる大冒険。ぶら〜りベルギーの旅だ。最初から予定はしていなかったものの、 どーにかなるだろうという、いつもの安易な考えから実行に移された。 7:25パリ発なのでまたもや早朝の起床。 普段の生活からは到底ありえないことだ。 7時までには発着駅となる北駅には到着し、ベルギーの自信作 と言われるタリスという高速列車に乗ったが、その速さと言い82ユーロの価値はあったようだ。 1時間半で無事にブリュッセルに着く。 ブリュッセル...まずは、パリと比べると非常に英語表示が少ない。 アルファベットなので、 ある程度の想像はできるが、これまで英語を武器にしていたために急に身の危険を感じる。しかも 片手に持っているおなじみ「地球の歩き方」には何やら不吉な情報が。 「日本人女性の一人旅を狙った犯罪が報告されている」と記載されている。 幸か不幸か、今の自分にとってこの言葉は、忠告というよりも恐怖となって襲ってきた。 必要以上に警戒しながらチケット売り場を探し、アントワープに行くためのローカル線に乗り換えることに成功。 そこからのんびり電車で1時間ほど揺られ、無事にネロとパトラッシュの町に到着したのだった。 キリストの昇架
 アントワープといえばルーベンス、ルーベンスといえば自分の頭の中ではどうしても「フランダースの犬」 に結びついてしまうのだ。日本人であることの証明に近い。 「フランダースの犬」、この作品をハンカチなしで見れる人はいるのだろうか。 ハンカチどころがバスタオルが必要であろう。 フィクションであるが、物語の背景は実在するということをガイドブックで知り、ミーハーにも アントワープ観光に食いついてしまった。そして、最大の 目的はおそらく、あのネロとパトラッシュが最後に見たというルーベンスの祭壇画を見ることであろう。
 ということで地図を見ながら、早速ノートルダム大聖堂へ。途中、にぎやかなショッピングストリートで ワッフルの誘惑を受けるも我慢。15分ほど歩いたところで大聖堂を発見するが、 あわてるな、まずは インフォメーションに行って情報集めだ。案内の親切なお姉さんからネロとパトラッシュの パンフレットを購入。舞台となったホーボーケンという場所へ行くための情報を収集し、 ネロとパトラッシュを偲ぶ旅が始まったのだ。 マルク広場
 まずは、立派な市庁舎が建つマルク広場からスタート。何を隠そう、 ネロの絵画コンクールの発表があった場所である。 それから向かったのが大聖堂、いきなりクライマックスに突入。 とりあえず料金を支払って入場する。 視界に入ってきたのは大きな3つの祭壇画であった。真ん中に位置する「マリア被昇天」、これはネロの時代、 誰でも見ることができた。しかし、その両側にある「キリストの昇架」と「キリストの降架」 には普段カーテンがかかっていて、お金を払わなければ見れなかったのだ。 驚くことに、こういった風習はごく最近まであったそうだ。 聖母教会 それにしても、「キリストの降架」はやばい!目の前にして言葉を失ってしまった。 ネロがこの絵をどんなに見たかったことか。ルーベンスの偉大さに立ち尽くす。 なぜネロがここで息を引き取ったのか、なぞが解けたようだった。 ルーベンスの巧みな筆遣い、構図からバランスまですべてがこの大聖堂の存在を作りだし、 また生き生きとした描写や鮮やかな色使いが、神聖で厳かな大聖堂の空間を作り出していた。
 ツアーコースによればこの後、聖ヤコブ教会とルーベンスの家へ 行かなければならなかったが、見学時間まで2時間近くあったので後回しにしてホーボーケン へいくことにした。 案内所で購入したトラムの1日乗車券を取り出し、どきどきしながらトラム初乗車。 とりあえず観光客はいない。イスラム教徒が非常に多かったのを覚えている。 そこから約20分くらいであろうか。観光地とは思えないほど人がいない場所を通り、 パンフレット通りに終点に近いkioskplaatsで下車。 目の前にはネロとパトラッシュが葬られたことになっている聖母教会を発見。 中には入りづらかったので、一応外から写真をとる。 そんな自分を不思議そうに見ている通りがかったおばさん。 おばさんよ、ほっといておくれ...。 ネロとパトラッシュ
 気を取り直して情報センターへ。ネロとパトラッシュの像を発見するや否や、 ひたすら写真をとる。中へ入ると、ここでもまた親切なお姉さんが、フランダースの犬についての パンフレットやフォルダーをくれた。お土産のほか、本とか風車の模型とかも展示されていた。 その後、パンフレットに従って風車を目指し歩いていくも、 寒い&疲れた&時間ないことに気づいて引き返す。わざとらしく、 この路をネロとパトラッシュは牛乳を運んでいたんだ〜、とか思いながら、ちょうど来たトラムに乗り込んだ。 苦労をしてここまで来たものの、あまり収穫はなかったな〜とは、うすうす感じていたが、 とりあえず繁華街まで戻り、ワッフル休憩をとることで気持ちを紛らわした。
 時計は15時半、予定していた聖ヤコブ教会とルーベンスの家に行く時間はないと思われたので、 アントワープ王立美術館に方向転換。 再びトラムに乗車する。5分ほどで到着するが、美術館周辺の環境をみて唖然とする。 まるで廃墟としか言いようがない。 美術館自体は立派な建物だ、しかし、人口密度が恐ろしく低すぎだ。 フランス>ベルギー、新たな不等式が成り立った。 音声ガイドを利用して鑑賞開始。人が少ないせいか監視員もいい加減だったが、 ルーベンスの作品所蔵は世界一らしい。 王立とは言えども、維持費がまかなえているのかどうか気になるくらい心配になってしまうが、 修復作業を公開しているところを見ると、どうやら 学芸員の苦肉の策、人足を増やそうと努力しているところが伺える。 アントワープ王立美術館
 館内のレストランでお茶をした後、トラムに乗って繁華街まで戻ろうとするも、 調子に乗ったせいか間違ったトラムに乗ってしまい、結局長い距離を歩く羽目になる。 17時を回っていたので美術館などは閉まっていたが、まだ明るかったので買い物でもするか、 といった調子でぶらり1時間。これがこのあと巻き起こる 大事件への引き金となることを、このときは知る由もなかった。
 この日はアントワープに1泊する予定だったのにも関わらず、朝っぱらから余裕こいてホテルの 予約すらしていなかったのだ。 買い物が済んで「さーて宿を探すか」、と思った時刻は18時。 初心者というものは怖いもの知らずだ。 ガイドブックに載っていたユースホステルを目指すも、こんな時間に空室があるはずがない。 30分くらい迷った末やっと着いたにも関わらす、ドアには平然とFULLの表示が。 そして、途方にくれながら駅まで戻る。 駅前には結構ホテルがあったが、予算外の思いつきの旅であったので、 セコい考えが働いたのだろう。 もっと大きい街なら安い宿はあるはずだ、と血迷ってブリュッセルまで戻ってしまったのだ。
 到着するとすでに20時を回っていた。サマータイムに変わった直後の 北半球に位置するベルギーでも、さすがに辺りは暗黒の世界へと変わりつつあった。 今度は駅で空室状況確認の電話をした。動物に与えられた学習能力に感謝をする。 幸運にも1件だけ空室が!ドミトリーではあるが、このまま滞在するところもなく、パリへの 列車もなく、野宿する羽目になることを考えると天国としか思えなかった。 地図を見れば駅からは目と鼻の先だったので、「21時ころには着くよ!」なんてオーナーに 伝えて電話を切った。 それほどお腹は空いていなかったが、近くにあったへんてこな名前の“Quality Burger” というところで、上質のハンバーガーをいただいたのだ。
 地図によれば徒歩15分ほどである。 地図を見ながら歩いていると、突然の不幸に襲われる。電柱に激突!足を負傷する。 なみだ目になりながらも歯を食いしばって歩き続ける。 刻一刻と辺りは暗くなり、人影はほとんどない。おまけに店もない。 まさにゴーストタウンだ。 15分ほど歩いた時点で、やっと迷子になったことに気づく。 そう、このとき浮かんできたのは脳裏に焼きついたあの言葉、 「日本人女性の一人旅を狙った犯罪」である。 これほど死を間近に感じたことは初めてかもしれない。 頭の中では、2009年度版の地球の歩き方ベルギーの旅の治安の欄に、 「日本人女性の一人旅を狙った犯罪が多数報告されている」に編集されていた。 そこからさらに15分ほど、びくびくしながら歩いていると暗い住宅街にポツンと光を発見。 どうも酒屋らしい。「溺れる者は藁をもつかむ」恐る恐る道を聞いてみた。何だと〜! まったく反対方向に歩いてきていたとは! これには泣きそうになった。 とりあえず人間と話ができたことで、地獄にいないことがわかったので暗い道を全力疾走。 どうにかして最寄の駅を発見、無事に電車に乗る。そして今度こそはドミトリーの最寄の駅で下車した。 この後、21時から22時半までの1時間半、計6名のベルギー人に道を聞くことになる。 その中には、一般人から明らかに目つきの怪しい薬中やらしき人物まで、バラエティに富んでいた。 この地獄のような放浪がどうやって幕を閉じたのか、思い出すだけでもゾッとする。 1時間半前にいた場所からわずか徒歩3分のところにドミトリーはあったのだ。 精神的にも肉体的にも限界にきていたため、そのまま放心状態でチェックイン。 アントワープで普通のホテルにチェックインしてたら...。どうやらケチるところを間違えたようだ。

4月3日(木) ブリュッセル→パリ
ユースホステル  寝心地は決して良いものとは言えなかったが、結局8人部屋に2人でラッキー! この日は9時ころにだらだらと起床し、朝食をいただいて出発。わずか16ユーロを支払い、 ユースホステル滞在初体験は無事に終了した。 昨日はとんだ失敗をしてしまったので、今日はまず歩き始める前に地図で確認をし、方向を念入りに記憶して出発をする。
 ところが、またもや右も左もわからない状態に陥る。そんな痛々しい姿を見て気の毒に思ったのか、 ベルギー人らしきおっさんが話しかけてきた。 「ニホンジンデスカ?」でた、日本語話せる外国人。どこにでもいるんだな。 まあ、怪しくもなかったし、藁にもすがる思いだったので道を教えてもらうことに。 ちょうど近くまで行く(...どこかで聞いたような展開だが...)というのでしばしの間、 このおっさんと同行することになった。 聞くと日本に留学経験があるとのこと。「オクサンハチュウゴクジンデス」 ふーん...反応に困る。 たわいもない話をし、10分ほど歩いて無事にサン・ミシェル大聖堂まで着いた。おっさんにお礼を言って別れる。 サン・ミシェル大聖堂
 このベルギーのサン・ミシェル大聖堂は、とても雰囲気のある教会だった。 巨大なオルガンが奏でる音は極上だったし、ステンドグラスも外からの光によって輝きを増しているように思えた。 改めて、ここまで連れて来てくれたおっさんありがとう。
 続いて、この旅で最後の美術館となるブリュッセル王立美術館へ。またもや探すのには苦労を伴ったが、 なんとか無事に到着。この美術館はとても充実した施設に思えた。 大きく古代と近代で分かれていて、有名な作品も目白押しで、 クライマックスを飾るにふさわしい美術館だった。 ルーベンスをはじめブリューゲルやクラナハ、近代ではマグリットが印象的だった。 すべて見終わったところで、途中で昨日の疲れが出始める。おなかもすいたことだし、 そのまま館内のレストランでサンドウィッチを食べるが、これが結構うまかったことに感動。 時間は15時ころだったので、その気になればどこかへ行けたが、自然と足は地下鉄へと向かっていた。 そんな気力は残っていなかったらしい。 そんなこんなで、無事にタリスに乗車し、疲れのためか即効で眠りに落ちる。 すやすや人が気持ちよく眠っているのに、ふと誰かに起こされる。 おっと!抜き打ち入国検査だ。 パスポートも持ってるし、悪いことはしてないので焦ることはないが、いきなりだったので焦った。 どうやら全員ではなく、怪しげな人物のみをピックアップしているようだ。 旅の目的やら何やらいろいろと聞かれたが、無事に終了しパリに到着した。 その瞬間、故郷へ3年ぶりくらいに帰ってきたような安心感がよぎる。 ベルギーは良かったけど、EU本部がある割にはあまりパッとしなかった。 そこそこボリュームはあったものの、自分のリサーチ不足だったことも追い討ちをかけたようだ。 そのままなれた足取りでホテルへ戻り、少し休憩してから、恒例となった最後の晩餐へ。
 表通りは人がいっぱいいるので裏通りへ入りこむ。 30分ほど歩いた甲斐があって、空いてて雰囲気のいいレストランを発見、 もちろんフルコースを注文。 世の中にこんなうまいもんがあったとは...!!!しばらく家畜のえさ のようなものばかりを食べていたせいか、 やらかいビーフをかみしめた感動は何倍にも膨れ上がった。 もう食えないはずなのに、デザートはしかっりと完食。 一生懸命、英語で説明してくれた親切なウエイターにチップを弾ませ、ホテルに戻った。 明日はヨーロッパとのお別れだ。 倍増した荷物をパックをし、数日後に控える社会復帰のことを考えて瞑想した。

4月4日(金)
  ↓ 
4月5日(土)
パリ→北京
 慣れた場所を去るのは、言葉にならないほど寂しいものだ。いろんなことがあったが、 終わりよければすべて良し。 再びロワッシーバスに乗車し、パリの町とおさらばをした。 「方向音痴、乗り物酔い、高所恐怖症」の3点セットを背負いながら、無事に帰りの飛行機に 乗る事ができた。記念は足に負った軽傷だ。 このたんこぶは、数ヶ月間も粘り強くスレンダーな足に残ることになるのだ。 帰りは順調だった。飛行機はがっらがらだったし、機内食も食べたし、読書も進んだ。 残ることといったら、社会復帰に向けての瞑想トレーニングくらいだろう。 次の旅行は夏休み、数日後、そのことだけを考えて仕事に復帰したのだった。



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